03 決定論とある行為をしようと意志することは両立するのか (20221031)

[カテゴリー:自由意志と問答]

決定論と、何かをしようと意志することは、(その意志が自由意志ではない限り)両立する、とスピノザは考えているようです。これに賛成する人は多いかもしれません。

例えば、私が、食堂で、うどんを頼むかそばを頼むかを迷って、うどんを食べようと決めたとししたとします。決定論者は、私が、そのように迷うことも、またそのあとうどんを食べようと決めること、あるいはうどんを食べようと意志することも、決まっていたと考えます。ここに矛盾はないと思います。そして、私自身が、うどんを頼むかそばを頼むか迷って、その後うどんを食べようと意志したとき、それを後から振り返って、そう意志することが決まっていたと考えることにも、矛盾はないかもしれません。

しかし、私自身が、うどんを頼むかそばを頼むか迷った後、うどんを食べようと意志するときに、同時にそのことが決まっていると考えることは、できないように思います。私が、うどんを食べようと意志し、同時にそう意志することに決まっていると考えることは矛盾するように思います。なぜなら、私は、何かを意志することは、それを自由に意志すること、それを意志ないことも可能であると考えることを伴っていると考えるからです。

ちなみに、欲求の場合には、他行為可能性の意識を伴わないと考えます。例えば、のどが渇いて、水を飲みたいと思うとき、水を飲みたいと思わないことも可能である、とは考えられません。これに対して、意志の場合には、他行為可能性の意識が伴うだろうと思います。これが、欲求と意志の重要なの違いです。

繰り返しになりますが、もしあることを意志することが、あることを自由に意志することであり、他行為可能性の意識を伴うことであるとすると、あることを意志することと決定論を信じることは両立しないでしょう。

スピノザが、あることを意志することと決定論が両立すると考えるのは、意志の理解が、私が考えるものと違うからだと思われます。では、スピノザの考える「意志」とはどのようなものでしょうか。

投稿者:

irieyukio

問答の哲学研究、ドイツ観念論研究、を専門にしています。 2019年3月に大阪大学を定年退職し、現在は名誉教授です。 香川県丸亀市生まれ、奈良市在住。